チャイナ人って言うけれど。

ふと、余りにも懐かしくなったので、書いてみる。

19歳、大学3年生の私は、当時大学間で交流のあった遼寧大学に、学年行事として短期留学に来ていた。

2週間。万里の長城や、北京観光もしたから、実質、言語学習としては10日程か。そのうち、5日程は、何故か酷い風邪をひき、ベッドに寝ていた(;つД`)

体質のせいか、高熱は出ない。でも、体調は優れない。先生に訴えるも、中国人の日本の先生が信じてくれない((/_;)/)

何度も訴えて、ようやく大学内の病院にかかり、そこで初めて、血液検査をしたら白血球が異常値だった。つまり体調が悪いんだよね、きっと。この時初めて、私って体調悪いと白血球多くなるんだ。と実感。

そして、友達の持ってきたフリーズドライのお粥に助けられた。。ありがとう~、今どうしてるかなー。

そんなこんなで、なかなか日の目を見れずに過ぎようとしつつも、ようやく体調が回復してきたので、友達と街へ出掛ける事になった。

当時の遼寧省は、今から20年以上前だけど👀‼️ ようやく高度成長期を迎えて、高層ビルはたまに建っているけど、建設途中だったり、荷車ひいて野菜売ってたり、バラックまではいかないけど、道路ゴミだらけの所もあった。

屋台の油条(ヨウティアオ)がめっちゃ美味しかったなぁ!

友達と、これはやってるのか?でも看板でてるよね?
うちか?外か?みたいな🍜🍥ラーメン屋さんに、勇気を出して入ってみた。

店主は、私たちが日本人なのを察したけれど、特に嫌そうな表情はしなかった。愛想よく迎えてくれて、、な、なんと、注文したらすぐに、麺を打ち始めた!!

その麺の伸びること伸びること。ビョーーーーーーンって伸びたのを器用にからめとって、またビョーーーーーーンって伸ばして。

「おぉ!」本場の麺打ちに感動する三人の日本人学生。

で、食べたらまた、これがさっぱりした味付けで塩味?
たしもきいていて、めっちゃ美味しかった😍🎶

満足や~。そうかー、日本でも、山形いた時はよく、夜更けに屋台の🍜🍥屋さんが「📣プォー」って来て、そうすると、父が「行くぞ!」と子供達に声をかけて、私たちは外に飛び出してラーメン屋さんとこ走ってったんだけど、
これがめちゃめちゃ美味しくて。

山形の屋台は、戦後に、在日の中華の方々が最初に始めたみたいだったけど。

目の前の中国のお兄さんは、簡単そうに麺を伸ばしたけど、美味しいって言うのは万国共通で伝わるもんだなぁって位、にこにこしてた。

そして、

あれ?どうやって知り合ったのかなぁ。
そこから、何でか、私達は中国人の友達が出来たのだ。

男性ね(笑)

その事がきっかけで、私は交換留学生となって、また舞い戻ってくるんだけれど、それはまた別のお話💓